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通好みゲームメーカー 会社案内 Vol.

コアゲーマーなら思わず唸ってしまうようなゲームを開発しているゲーム会社を紹介する「通好みゲームメーカー 会社案内」. 第2回目となる今回は、前回に引き続き、3DダンジョンRPGの制作を得意としているゲーム開発集団”チーム ムラマサ”(エクスペリエンス)を紹介. チーム ムラマサを引っ張るプロデューサーの千頭 元氏とディレクターの安宅元也氏の過去について直撃し、両名がどのようなゲーム開発人生を送ってきたのか、そしてどのように現在に至ったのかをお届けいたします. チーム ムラマサの2人がゲーム業界を目指したきっかけは 株式会社エクスペリエンス 取締役 開発部長 安宅元也氏. ディレクターとして開発部門を統括している. 株式会社エクスペリエンス 代表取締役 千頭 元氏. プロデューサーとしてチーム ムラマサを引っ張っている. 現在では1つ屋根の下で3DダンジョンRPGを作り続ける千頭氏と安宅氏だが、ゲーム業界へ入るきっかけやこれまでの歩みはもちろん異なる. 中学生時代にパソコンゲームに触れ、初めてクリアしたゲームは日本ファルコムの『ザナドゥ』という千頭氏は、その後『ウィザードリィ』などの名作に触れるにつれて、しだいにゲーム業界への道を目指し始める. 千頭氏 (以下敬称略) 実際にゲーム業界に入ったのは18歳の時ですね. もともと早く就職をしたかったので、ゲーム会社に電話をして「就職をしたい」と伝えて面接をしてもらったんです. そのときに少しでも早くからかかわりたかったので、まずはアルバイトをさせてほしいとお願いをして専門学校の卒業と同時に社員として就職をしました. 日本ファルコムに入社した千頭氏は、まず当時PC-8801で発売を予定していた3DダンジョンRPG『ダイナソア』のPC-9801への移植作業を行った. ここで担当した作業は、PC-88版のグラフィックをPC-98版の仕様に合うように修正していくことだった. 一方の安宅氏は、千頭氏とは逆に学生時代にゲームを作りたいと思っていたことはなかったようだ. しかし興味がなかったわけではなく、ゲームもマンガもなんでも好きだったという. その後、高校を卒業して浪人生活を送っていた安宅氏は、勉強そっちのけであり余るパワーがそのまま、なんでも作りたいという欲求に転嫁していったという. 安宅氏 (以下敬称略) 今思えばバカな話なんですが、当時はスーパーマルチクリエイターになりたいと思っていました. ゲームもアニメも作れて、小説も書ける、そんな存在ですね. そのなかでさまざまな要素が1つに含まれているゲームの制作現場に入れば、そういった物がすべて作れると思った安宅氏は、大手ゲームメーカーへの就職を試みた. 安宅 そういう思いのもとに、とりあえず大きいゲームメーカーに企画書などを送って応募してみたんです. しかし、返ってきたのは1枚の紙切れが入った封筒だけでした. これは一筋縄ではいかないと思った安宅氏は、とりあえずゲーム専門学校へ行くための資金を貯め、そして入学する. しかし、入学した専門学校で安宅氏は1つの結論に到達してしまう. 安宅 ゲーム制作ってプログラマーやグラフィッカーなどの手に職を持った人でないと、基本的に就職は厳しい世界だったんです. だから、僕の考えていたスーパーマルチクリエイターを目指していたら就職はできないんです. このままではまずいと危機感を持った安宅氏は、まず現場に飛び込んで技術を身につけることを始める. 某S社でデバッガーとして採用された安宅氏は、同社で来る日も来る日もデバッグをし続けた. 千頭 僕が見ていた安宅さんは、明けても暮れても『DDR』(ダンスダンスレボリューション)をやっていましたけどね. スパイク サッカー 安宅 いや、それは社員になってからですから. その後、そろそろ就職をしようということでゲーム業界への就職活動を行なっていた安宅氏のもとに、「君には『ウィザードリィ』の制作にかかわってもらいたい」という話がくる. ここで安宅氏によるダンジョンRPGの制作がスタートしたのである. 安宅 ですので、今でもスーパーマルチクリエイターにはなれていないですね. 実は今回のこの話が来るまで、そんなことはすっかりと忘れていたんですが… . 千頭 「なんでこの仕事始めたんだっけ」って言ってましたからね、この人. せっかくだから名刺の肩書きも開発部長からスーパーマルチクリエイターに変えますか. 安宅 みんな名刺見て”引く”んじゃないですかね. 90年代半ば、ゲーム作りは過酷な世界へ→(2ページ目へ).