北京の惨敗を礎に走れ 反町・元五輪代表監

あの夏、彼らは「負け組」だった. 2008年の北京五輪、当時の23歳以下で構成されたサッカー男子日本代表は3戦全敗で1次リーグ敗退を喫した. その悔しさを力に変え、多くの選手がいま、日本代表の主力となっている. 北京五輪代表を率いた反町康治・現J2松本監督に、成長を続ける教え子たちについて語ってもらった. ■本田は早熟、よくたどり着いた ――本田は、いまやACミランで10番を背負う存在になりました. 「北京世代で、どちらかといえば本田は早熟だった. 彼と梶山、家長昭博は、高校を卒業するくらいのタイミングでグーッと伸びる時期が来た選手. 五輪本大会の前に、当時A代表の岡田武史監督から『誰か1人、推薦してくれ』と頼まれ、本田を推したこともあった」 「ただ、伸びる時期に一つの区切りがつき、そこがピークになってしまわないかという不安が、見ていてあった. いまの本田を見ると、よくあそこまでたどり着いたというのが正直な感想. うれしい半面、まだ、ちょっと信じられない」 ――不安とは. 「いまのサッカー、判断やパスなど様々な種類のスピードが問われる. その中で本田は、走るスピードが特段、優れているわけではなかったから. 俊敏性も、そんなにある方ではない. 果たして世界の主流に入っていけるのだろうかと」 ――当時、本田を「外国選手みたいな面がある」と評していました. 「良くも悪くも、協調しすぎて自己主張に欠けるのが日本人. でも、当時から本田は協調性を踏まえつつ、曲げない部分は曲げず、自分を主張していた」 「五輪予選では、基本的に本田を左のアウトサイドで使った. 本人はトップ下でやりたかったのかもしれないが、話せばわかってくれた. そのうえで『チームプレーを考え、自分の良さも出していく』と言っていた. そういう主張、波長みたいなものが、欧州のクラブで周りとかみ合っているのでは」 ――本大会では、本田と香川が2列目で攻撃のスイッチを入れる役割を担いました. 「すでに香川はA代表でも試合に出ていたから、五輪出場は『当確』だった. 何より、ボールを持った時の立ち姿が違った. 相手が体を寄せてきても動じず、ボールコントロールのミスなんて見たことがなかった」 「それで、香川と本田が前を向いた時、誰が相手の裏へ走るのか. 最も適しているのが岡崎だった. スペースを見つけて長い距離を走るのが彼の持ち味. この連係は、いまのA代表と同じでしょう.

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